帰宅途中のバス停でよく見かける青年がいます。 おそらく20歳代で背は高く、やせ形。ぼさぼさの長髪に眼鏡をかけています。 服の種類はオタクっぽいですが、それほど汚いわけではありません。
そんな彼はバスに乗るためにバス停前にいるわけではなく、 そこで熱唱するためにいるのです。 なにかをヘッドホンで聴きながら、大声で歌います。 レパートリーはおもにミスチル。
わたしが彼を初めて見たのは8年ほど前になります。 当時の彼は歌にすべての情熱をかたむけていて、 ヘッドホンから聞こえる音楽に没入することで、 己の表現を深化させていました。
さらに彼を印象深くさせているのは、その歌に対する取り組みです。自分の歌声を、誰にも聞かせていないのです。 誰かに自分のメッセージを伝えるというより、ただそこで歌うだけ。オーディエンスを無視した、そのストイックなスタイルに、 わたしはただ圧倒されました。
数年後、彼は歌にアクションを交えてきます。 右手はギターの弦を弾くムーブ、そして左手は耳のヘッドホンを押さえます。 いまでこそエアギターが認知され、それを許容する文化が育ってきていますが、 当時、これを理解できるオーディエンス(バスを待っているひと)は少数でした。
しかも右手だけエアギターという、 ハーフ・エアギターともいうべきその独創性は、 現在でも評価が分かれるところです。
わたしがカメラ付き携帯電話を購入して、 彼のスナップを手に入れようとしたのもこのころです。 カメラを向けるとさっそうと隣のバス停へ移動してしまうため、 なかなかうまく撮影することができません。 ギグの開始時刻が夜で、光量が足りず、 露出時間が長くなってしまうことも、撮影が難しい原因と言えましょう。
その後、順調にギグをこなしていく彼を不運が襲います。 それまでバス停付近では楽器を使った音楽活動は制限されていましたが、 これが解禁されたのです。
ストリートミュージシャンが彼の周りにあふれました。 中にはターンテーブルとPAを持ち込むテクノDJもいたほどです。 さながら刀による合戦の場に鉄砲が持ち込まれたかのごとく、 己の体だけで表現する彼のスタイル(=刀)は、楽器(=鉄砲)に圧倒されていくのでした。 そしてギグの頻度がだんだん減っていき、 ついにはまったく見かけなくなってしまったのです。
しかし、大粒の雨が街を襲った今日、彼は復活しました。 以前と同じ大声の歌に、ハーフ・エアギターのムーブ、 そしてレパートリーはミスチルです。 オールド・スクールな彼のスタイルに、 オーディエンス(バスを待っているひと)は驚きを隠せません。
しかし、彼は最後にサプライズを用意していました。 後奏の激しいハーフ・エアギター・カッティングが終わった後、 深々と頭を垂れたのです。 オーディエンス(バスを待っているひと)のいるバス停と無関係な誰もいない方向へ。 8年前、彼を初めて見たときから、 そのオーディエンス不在の表現スタイルに疑問を持っていましたが、今日、それが解消されました。 彼にとってはオーディエンスすらも、エアー・オーディエンスであったのです。
ちなみにわたしは彼をタスケと呼んでいます。